海行かば

 おかしなタイトルをつけてしまいました。例の軍歌とは何の関係もありません。強いてこじつければ「みずく屍」くらいかな。戦争ではなく自然災害による犠牲者がたくさんいたでしょうから。
 前置きはさておき、小海周辺には「海」のつく地名がいくつもあります。小海はもちろん、海ノ口海尻。以前から疑問に思っていたのですが、海から遥か離れた場所になぜ(たしか国道299号沿いに「日本で最も海から遠い場所」なる標識があったような)。漠然と昔は海だった、くらいに思っていました。ヒマラヤも海底が隆起してできたというし。
 今日この疑問が解けました。平安時代の西暦換算887年、九州から東北南部を「仁和の大地震」が襲う。とりわけ信濃国では大地変となりました。八ヶ岳の東斜面が崩落。土石流が大月川を下って千曲川本流に流れ込み、現在の八那池から馬流まで堆積して天然のダムができたのだとか。海とはこの湖をさしているようです。
 本流を堰き止めたのが「大海」。湖水域は上流12kmまで達したそうです。黒部ダムの2倍以上の湛水量。一方、支流の相木川を堰き止めてできたのが「小海」。大月川沿いには松原湖ができました。
 「大海」は翌年に決壊。100kmも下流長野市まで水浸しにしました。それでも小さなダムは残りました。小型化した大海の流入口にあたる場所が海ノ口、ダムにあたる場所が海尻というわけです。それから約120年後、大海はふたたび決壊、ダムはなくなりました。
 「小海」のほうは600年にわたって存続したことが古地図などで確認できるそうですが、消滅時期や原因は不明だとか。ともあれ現在の小海市街は天然ダムの跡地ということになりますね。