農家に土間があったころ

 関東や甲信地域の山間部では、たいていの農家が蚕を飼っていました。1階は人間の住まい、2階は蚕の飼育場所。屋根は切妻。外壁は柱梁の間が白壁または泥壁で塗り固められている。2階床部分の外周には、何とよぶのでしょうか、ベランダみたいなものが設置されている。こんな養蚕農家様式とでも呼べる民家が、現在でも数多く残っています。小海に行くときに通る西上州から東信地域の道沿いでは見慣れた景色になりました。





 小海町親沢Nさんのお宅も、そんな様式の家。現在の床面積は70坪くらいでしょうか。都会暮らしの一般庶民にとっては気の遠くなるような広さ。親沢集落内の他の家も、多くは同じ様式です。
 Nさんのお宅は、50数年前に建てられました。まだ水道敷設前。生活用水には沢から引いた水や共同井戸を利用していた時代です。
 入り口を入ると土間があり、隅にはカマドと風呂が置かれている。正面奥は味噌室(保存食品置き場)。左手は板の間で囲炉裏がある。板の間の奥には、ほぼ田の字型に並んだ座敷が4つ。奥の座敷ふたつ各8畳は客間です。この客間でNさんから話をうかがったのですが、天井の高いこと! 9尺(270cm)くらいでしょうか。欄間も切ってある。床の間には日本刀も飾られていました。座敷の奥はイリカとよばれる板の間と4畳半の部屋。この部分は平屋です。
 2階へは南側廊下の端から階段を上る。ここはもちろん養蚕スペース。蚕の餌となる桑は、関東地方だと枝を切り取りやすいように低木栽培していましたね。でも、小海あたりでは樹高が伸びるままにしていたとか。そういえば小海周辺では5mを超す桑の巨木が現在でもあちこちに残っています。
 母屋の東側には隣接して家畜小屋がありました。飼われていたのは牛、馬、山羊、鶏、ウサギなど。トイレも家畜小屋の一画にありました。
 現在、Nさんのお宅には土間も家畜小屋もありません。いわゆる高度経済成長期に暮らし方は大きく変わりました。養蚕は昭和40年代に廃業。2階は物置のようになっています。家畜小屋部分は母屋に組み込まれて平屋の居室になりました。
 暮らし方の変化とともに変わった住まい。自分が育った家も、当初台所は土間でした。その後増改築が繰り返され、土間は板の間に、平屋は2階建てに。家畜小屋はいつしかなくなりました。現在の実家は、当時とはまったく別の家屋に建て替えられています。
 じつは最近、土間のある家に住みたいとちょっぴり思うようになりました。そんなライフスタイルを選びたがっているんでしょうね。
 ※文中の「イリカ」、多少調べてみましたが、けっきょく意味がわかりませんでした。あくまで想像ですが「入り家」なのかも。というのは名主クラスの旧家では来客用の玄関が別にあったとか。これなら日常の生活空間を通らずに直接客間に入ることができる。その名残がイリカだったような気もします。どなたかご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。
※復元間取り図もNさんの話をもとに2種類のソフトで作成したのですが、ともにファイル形式の違いでアップロードできませんでした。変換方法があるはずなんですがですが…。