孫が遊びにこられない場所に戻ってもいいのか―飯舘村の今

 2/2夜、小海町役場会議室で飯舘の皆さんのお話をうかがいました。当日は「おやきの里」長野県小川村から戻られたばかり。連日のハードなスケジュールと寒さで、体調を崩された方もいらっしゃったとか。そんななかで、菅野哲さんと渡辺とみ子さんのおふたりが話してくださいました。参加者約30人、テレビ・雑誌など県内メディア数社。
 「戻りたいけど戻れない」。おふたりが何度も口にした言葉です。飯舘の現状を端的に示しているように思います。「孫が遊びにこられない場所に戻ってもいいのか」。菅野哲さんは、こうも言いました。「報道は泣いてる人と笑ってる人に傾く。怒ってる人は無視される」。
 飯舘村民の避難先は福島市を中心にほぼ9割が福島県内。住まいは仮設3割、借り上げ7割。被災前の約1700世帯が2700世帯に増えました。一緒に住んでいた家族が離散せざるをえなかった結果です。
 被爆が明らかになったあとも、安全安心をPRする専門家の講演会が2度開かれました。原子力保安院も、避難の必要なしと発言しました。突然、計画的避難区域指定が公表されたのは、2度目の講演会の翌日です。全村民の避難が完了したのは7月末。
 慣れ親しんだ仲間がいる場所。それはかけがえのない場所です。避難は、その仲間=コミュニティとは無関係に進められました。誰がどこにいるのかわからない。離れ離れになった仲間と連絡をとろうと思っても、個人情報保護のタテマエがあるから役場は教えてくれない。
 ぎりぎりの精神状態。泣くことしかできなかった日々。今回の小海訪問は、飯舘の皆さんにとって再起を期したプロジェクトの一環だったのだと思います。渡辺さんは言いました。「やっと笑顔が出てきた。ピンチをチャンスに!」。