楢葉町にて

 3/23朝、宿泊先のえびす庵をあとにしたわたしたちは、すぐ近くにある菅野哲(ひろし)さんの畑に案内していただきました。耕作放棄地を借り、果樹などの根を掘り起こして再開墾した畑です。1年前の訪問時にくらべると、面積がさらに拡がっていました。
 ここで採れた野菜は、えびす庵でもつかっているとか。前日いただいた酒粕煮の白菜も哲さんがつくったとききました。白菜の苗は小海から送ったものだったかもしれません。今回うかがったときの畑には冬を越したニンニクが何百株か。あとはほとんど更地でした。春を迎えて、これからが本格的な農作業の時期になります。
 哲さんと再会を期したあとは沿岸部の被災地に向かいました。常磐道の広野ICで降りて北上、楢葉町へ。途中、Jビレッジの脇を通過。東電の復興本社が置かれているところですね。グラウンドの芝はすべて剥がされ、復興事業の基地にもなっています。
※写真は楢葉の海岸から南方を望む。遠景の煙突は広野火力発電所。震災の影響はなかったのでしょうか。Jビレッジは発電所の手前に位置する。
 楢葉の海岸で下車すると、周辺は被災時とほとんど変わらない光景が広がっていました。道路はアスファルトがズタズタにされたまま。民家はすべて基礎が残っているのみ。田んぼのなかに放置されたままの自動車もありました。そして瓦礫の山。堤防の高さは数メートルほどでしょうか。あの大津波ではひとたまりもなかったはずです。
 楢葉町福島第一原発から20km圏に位置しています。昨年8月に警戒区域が解除され、避難指示解除準備区域に再編されました。要は立ち入りは自由だが宿泊は禁止。津波を免れた家にも人の気配はありませんでした。列車の走らない常磐線のレールは銀色の輝きが消え、すっかり錆びついていました。ほとんど廃線そのものの鉄路。うら悲しい風景です。
 しかも除染物が入っているらしい黒い袋が、民家のすぐそばや水田に置かれている。これでは除染の意味がないような。どうなんでしょうか。地震津波だけなら、復興にも早めに手がつけられる。気持ちも切り替えやすい。ところが放射能汚染が加わるとそうはいきません。
 風の強い一日でした。一行のなかには、お線香を用意してきた方もいらっしゃいましたが、けっきょくは強風のため火をつけることはできませんでした。