続「小海の伝統食」

 前回の記事で述べた冊子「小海の伝統食」がらみの無駄話を少しさせていただきます。
 中身を拝見して気がついたのは、わたしが子供のころ、つまり50年くらい前の経済高度成長初期に食べていたのと似た料理がたくさん載っていることでした。キクイモや花豆、野沢菜、ワサビといった素材の違いを除けば、あとはほとんど変わりないようにも思えます。関西や東北ではまた違った側面があるのかもしれませんが。
 わたしの出身は神奈川県の丹沢山塊の麓。標高は小海より遥かに低い。ちょっと前からは政令指定都市・相模原の一部になりました。緑区という、行政上は大都市に組み込まれた辺境部のありふれた新地名です。キノコ、アケビ、自然薯などを採集していた山が削られ住宅地となり、人口が増えた町。畑も宅地となった町。専業農家がほとんどいなくなった町。わたしが子供のころの人口は、現在の小海町と同じようなものでした。それが今では何倍にもなっている。その理由は単に東京に近いということだけだったと思います(たしか小海町は減っているんですよね)。
 そんな町で今も暮らしているわたしの母親は酒まんじゅうづくりの達人でした(いちおう現在も)。ケーキは食べても普通のまんじゅうには目もくれない彼女の孫(わたしの甥)が、お婆ちゃんのつくる折々のまんじゅうには目の色を変える。子供のころは何となく食べていただけのわたしも帰郷したときに、そのおいしさを再発見しました。
 けっして料理上手とはいえない彼女が、酒まんじゅうづくりで発揮した異常なこだわり。ただひとつの料理自慢だったのかもしれません。発酵という自然現象をコントロールするのは至難の技です。いつも満足いくものができるとはかぎらない。傍目にはおいしく見えても、本人はめったに納得しなかった。
 ちなみにわたしは酒まんじゅうを一度もつくったことがありません(イーストを使ったものは何度もつくっていますが)。麹をどこまで発酵させればいいのか、小麦粉に練りこんだあとも、どのくらい寝かせてから蒸かせばいいのか。温度や湿度は毎日ちがう。何分たったからOKなんて一概にはいえない。むずかしい。母親に作り方を教えてもらったとしても、マニュアルめいたコツとか要領はたぶんわからないままでしょう。それは母親が老いたからではなく、経験と勘で覚えるしかない技能だからだと思います。
 食べ物商売では「いつも同じ味」が求められるようですね。少なくても、バーコードのついた食品は厳密なレシピ管理がなされている……はず。ただ、家庭料理にその原則を適用する必要なんてまったくない。味が多少変わったって問題なし。達人は、おいしさの範囲をきちんとわきまえています。失敗作でもはたから見れば充分すぎるほどおいしい。
 「小海の伝統食」には、当然まんじゅうも載っています(麹ではなく重曹使用)。今ではたいてい店で買うまんじゅうも、かつては当たり前のように家庭でつくられていました。
 あるいは「おやき」。長野県の有名な郷土料理ですね。有名無名を含めておいしい店が各地にある。わたしも子供のころ「おやき」をよく食べさせられました。といっても、小麦粉に重曹を入れて鋳物鍋で焼いただけの具なしおやき。まずい、食いたくないという印象しか残っていません。
 すいとん(冊子には「はさみこみ」という名称で載っています)も同様です。今ならちゃんとダシをとり、具もおいしいものがたくさん入っているのでしょうが、当時はありあわせの野菜を放り込んで醤油で味付けしただけ(ときには煮干などの貴重品も一緒に放り込んでいたような気もしますが)。また食べさせられるのかと思うと食卓から逃げ出したくなるほどでした。
 搾りたての牛乳や山羊の乳を普段から当たり前のように飲んでいながら(牛は親戚が、山羊はわが家で飼っていた)、わたしはなぜか学校給食で出される脱脂粉乳のほうがおいしいと感じた、おかしな体験をもっています。すいとんやおやきなど、昔ながらの料理はまずい。それに比べれば学校給食は格段においしい。ファッショナブルでした。母親のつくってくれるものはおいしくないから自分でつくる。そのことが、料理を始めたキッカケだったような気もします。
 給食だけではありません。家庭科の授業の定番は伝統食ではなく洋食っぽいものでした。カレーライスやポテトサラダ。そしてオヤツは肉屋で買う1個5円のコロッケ。洋食化への地ならしはちゃくちゃくと進んでいました。
 伝統食がすたれていったプロセスを知っているのは、地域的な違いはあるにせよ、現在60歳以上の世代だと思います。この世代は、たぶんマクドナルドのハンバーガーを抵抗なく受け入れた世代でもあります。今でこそ、あんなもの食えるかといっていたとしても、当時はけっこう馴染んでいました。かくいうわたしも、かつてはおいしいと感じた時代がありました。現在は数年に一度、まるで晴れの儀式のごとく、ある意味では仕方なく食べるだけですが。
 いわゆる食の欧米化には揺り戻しがきています。わたしもこの波に流されています。スローフードは伝統食でもある。そのひとつ発酵食品も一部は自分でつくるようになりました。漬物、どぶろく、自然酵母パン……。しばらくしたら旬の柿(残念ながら小海ではとれない)を使って酢を醸造してみるつもりです。
※本日の小海を味わう「南蛮味噌トースト」 小海産南蛮味噌を食パンに塗り、さらにバターとエゴマを散らしてトーストするだけ。出勤前の慌しい一品でした。